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執筆者の写真Juju Spiritual Master

Jujuのエフィソード1❣️私の誕生は親にとって生と死の紙一枚を体験❣️

生まれた場所はど田舎
江原道(カンウォンド)
私が生まれた場所は冬が寒いカンウォンドです。

生まれた場所は、江原道(カンウォンド)と言う場所で、皆さんには冬のソナタのロケー地として良く知られているのと韓国の北朝鮮と南の境界線である38線が近いところです。


当時のお父さんの職業は職業軍人でした。職業軍人の家族は部隊の近くに社宅が用意されるので、私はど田舎で生まれたのです。😆


お父さんは子供が嫌いだったらしいです。😅

私には分からなかったのですが、、、


上のお姉さんやお兄さんの時のエピソードも一緒に良く聞けたのです。

上の兄弟は生まれた時にお父さんがいなかった様です。お姉さんが生まれた時にはベトナム戦争へ、お兄さんが生まれた時には島の方に単身で派遣されたので、久しぶりに家に帰って来たら子供がいた様です。お母さんもお父さんもあまりにも若かったのでお父さんは子供についてあんまり興味がなかった様です。


男性がパパになる実感はあんまり感じづらい所があると思います。陣痛の時に側で一緒にみてやっと如何に大変なのかを感じられたら幸いかなぁ〜と幼い時から言われ思ってました。


私の妊娠経験

なので、私も実際結婚して相手が子供がほしいと言ってくれるまで待つ事にして、5年待ちました。本当に男の人の恐怖心は強いし弱い部分もあるので尊重する方が生まれてくる子供に良いと思ったのです。パパから愛されて欲しかったのです。待ってれた一番の理由でした。


待つのは良いのですが、やはり私にも年齢的な面での焦りも少しずつ増していくのを感じてました。年齢的にもう、そろそろ厳しくなるよ❣️っと伝えてやっと決心してくれたのです。授かったものの二回の流産❣️子供って普通にできる事だと思っていた彼の思いに衝撃を与えたのです。喜んだものの出先での流血で急いで家に戻りたいと言う要望に反応がなく、駅まで歩こうとする姿に腹立ていた記憶が急に思い出しました。笑🤣笑

自らタックシーに乗りたいと言う提案に金額を気にする姿は、ボコボコにしたかったですね❣️家に戻り、病院に電話をし、どうすればいいのか聞いた所、家で安静するしかない❣️病院に来てもやってあげれるのが無いとの事で、流血が止まるのを待つしかなかった。しかしそのまま流産になる。


流産した時の女性の身体は産後の時と同じくらい状態になりますので、皆さん自分の身体を大事に、そして男性の方々は万が一何かあった時には、妊娠たけではなく、奥さんが安静出来る様に気くばってくださいね❣️

妊娠の時期のでき事は女性にとっては一生の名残になるとも言われています。

私の回復より彼の立ち直りに時間がかかることにイライラしていた記憶もありますね❣️


待ったおかげで、流産のおかげで子供の大事さに目を覚まし、出産のすべての過程を協力してくれたり、話し合って決めたりするのが出来た事に感謝してます。

二回と言う辛い経験の中で、夢の中でちゃんとお声掛けてくれたのです。2番目の子は怖いと自信が無いと色が青くなり、目を覚ましたら、流血が始まったのです。


3番目の時には今度こそ❣️何もしない❣️一切心配しない❣️安定期まで安静する。重いものも持たない❣️と徹底的に安静に自分の為に、子供の為に安らぐ状態を維持してました。

そして子供が安静期に入る手前で姑が倒れる事になり、嬉しい便りを伝える事が出来なかったのです。両親の報告は安定期に入ってからにするつもりだったので、私の両親にも安静期まで伝える事が出来なったのです。


今に集中して出来ることを精一杯出来た事に感謝してます。

しかし、もう少しタイミングを早くして欲しかったなぁ〜と思ったりしてた気がします。出来てから、条件が揃ってから、待つ❣️待つ❣️

今は穏やかな状態で流れに沿う❣️のが一番ものことスムーズに流れるかと思いますね❣️


私の誕生は親にとって生と死の紙一枚を体験❣️

私のお父さんはあんまり抱っこもしないし、大きく成長して子供になっても興味をしめさなったことでお母さんはとっても苦労とともに寂しさや名残が尽きない心から「今度こそ❣️」が発動❣️

男のパパになる実感
私の誕生は親にとって生と死の紙一枚を体験❣️

私を産む前にお母さんは今度こそお父さんに如何に子供を産むのって大変なのかを見せたいっと思ってた様です。


お母さんは上の2人も自宅で産んだので、私も当然の様に自宅で産む事にしたのです。

ところが、陣痛が来て、子供が出るのを手伝っていた方は普通と違う事に気づき、『赤ちゃんって頭から出るよね⁉️』っとお母さんに声掛けてお母さんはご自分の手で確認したら、足1本が触られたので、これは駄目だと思い足を中に戻そうと何度も強く押した様です。そしたら、今度は手の中に2つの両足が掴まれるのを感じそのまま引っ張り出したら、お尻までスムーズに出た様です。😄

次は胸の辺りから動かなくなったので、手伝って下さった方は仕方なく、外で待っていたお父さんに異変を伝え中へ連れて来ると、お父さんは様子を見たら、赤ちゃんの肘が引っ掛かったのを感知し、何度か肘の骨の部分を押したら、腕がねじりながら外側に開く様な感じで出たので、反対側も同じやり方をしたら、グルッと回して反対の手も外に出た様です。その後は、つるんっと外に出たらしいです。


そのままお父さんは、私のお尻をただいてオギャーと泣く様に😂しました。

その後からは、お家でのあだなはコクリ(꺼꾸리: 逆子と言う意味を持ってます)と呼ばれる様になったのです。


私は何で私をコクリって呼ぶの⁉️って聞くとその時の出来事を何度も何度も繰り返し楽しく話しながら皆んなで笑うのです。


私が無事生まれた後は、私を軍の病院に連れて行って診察した際に自宅で逆子で生まれた事を医者に言ったら、びっくりしたらしいです。

普通は、逆子の場合、お母さんか、子供かどちらかが死ぬ可能性が高いらしくて、生まれた時の様子を聞いたお医者さんは医療陣がやるやり方なので、天運だったとの話をお父さんは聞くのです。


子供が運がいいですね❣️っと言われたので、他でも無くお医者さんからの話でお父さんは天からの助けだった事をとっても感じた様です。

そして、お母さんも元気である事を改めて感謝したらしいです。


赤ちゃんが嫌いだったお父さんはその時からかなり変わった様です。

如何に子供が生まれるのも、お母さんも大変だと言うのを肌で感じてたし、初めて小さな命を直接自分の手の中にいる姿がとっても感動だったようです。なので、私はお父さんの愛をたっぷり受けながら育ててもらったのです。


お父さんとの楽しい記憶

軍靴は歩く時にザリザリと音がします。

毎日、夕方の時間になると、遠くから歩幅に合わせてザリザリと音が聞こえて来ると、私は「お父さんだ❣️」と叫びながら、縁側で待機しながら待つのです。

愛敬のフルタイム
縁側で待ちながらジャンプするタイミングを待つ

遠くの所にはお父さんの姿が見えてきて、ある程度縁側に近づくと私はジャンプして飛んでお父さんに抱っこされるのです。 お父さんは180センチと背が高く、私は小さかったので、抱っこすると私はお父さんにピッタとくっつくのです。 危ないよ❣️と言いながらいつも笑ってました。そのまま高く持ち上げて私を屋根に置くのです。私はしばらく屋根の上を走ったり、お父さんと話したりして、もう降りて来なさいと言われるとまたもお父さんに向かってそのままジャンプするのです。😁


いつもお父さんの側でお父さんの物造りを観察したり、お父さんに色んな事を質問したりましてました。未子だからこそいつもお母さんかお父さんの側にいながら色んな事を見たり、聞いたりしてましたね❣️😁


逆子で生まれる事で両親に色んな変化をもたらした私は、何より健康を大事にして欲しいといつも言われてました。学生の頃は成績より楽しく学校生活を送って欲しいと言ってました。ありがたい🙏ありがたい


お金の事、仕事について考えていたら

今日は2023年7月26日ですが、朝の夢にお父さんが隣に座って話をしてました。

お父さんは、生きてる時に高校卒業が出来ない人のための高卒認定試験を受けたかった。と言うのです。私は今すれば良いじゃ無いと言うのです。お父さんはそうね❣️と軽く答えるのです。

目が覚めゆっくり夢の内容を考えるとお父さんは家族の為、兄弟の為、親の為に一生頑張ったのです。行きたくないとか、やりたくないとか関係なくやらないといけない事ばかりに囲まれて一生懸命家族の為に働いたのです。

夢ではご自分の為にやりたかったのを述べてくれたのです。なるほど、そして、私にもうそろそろ自分の為に生きなさい❣️と言ってるような感じでした。


最近お金を稼ぐ為に人を巻き込む事についてもう一度考えさせていただいたのですが、如何に軽くするかによって取り入れるのかなぁ〜やはり、無理かなぁ〜を考えた時の夢でした。


如何に軽く思ったとしても相手の状況を聞いたりすると、申し訳ない気持ちになるのはやめた方がいい❣️

カルマや罪悪感の状況に自分を置くのはやめよう❣️とか思いました。


自己愛を優先しよう❣️愛や余裕がいっぱいになって溢れたら、人に与えよう❣️っともう一度結論になりました。

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